2016年08月31日
続・雨告山の真相
先日、雨告山の件について投稿しましたが、あれから一向に頭から離れず、ずっと調べていました。
先輩使って高寺神社の裏から写真も撮ってもらいましたが、やっぱり今の雨告山は本当の雨告山ではない!という結論に勝手に達しました。
勝手にですよ!
そして守山は、現・雨告山を含めた西補陀落の総称と考えられます。
まず、1879年、明治12年に描かれた、三山総絵図による位置関係及び描写のちがいです。
これは神社表記になっているため、廃仏毀釈の際に書き直されたものであろう、必ず元になった更に古い図があったと思われます。
では、総絵図の雨告山は月山から北西にある、標高930.2mの黒森山ではなかろうか。
そう思うに至った理由は、1710年に完成された三山雅集の雨告山の項にこう記されている。
「月山より西北に当って見ゆる孤峯なり天気朗なる時は顕には見えず雨ならんと欲するときに山の色朦朧として遠近に見えわたれり又は雨森山とも云り」
雨 森山…、孤峯…。
雨 森山…、孤峯…。
雨 森山…、孤峯…。
もう言っちゃってるし、しかも現・雨告山は孤峯ではない。
尾根筋の一部だ。
さらに、フェイスブックでお友達のPさんより、こんな考察を頂きました。
「黒」とは降龍を意味する。
降龍=雷
そう、高寺の雷電磐神話ときちんと繋がってきます。
森(モリ)は祈りを捧げる場所。
黒森山は雷神に祈りを捧げる場所であり、通称「雨告山」だったのではないかと思われます。
さらに、雨が近いとよく見える…とな。
先輩から撮して頂いた写真をみても、ネット上にアップされているどの写真を見ても、現・雨告山を指し示すことができないのである。
それほど小さい。
一番近くにいて、毎年あそこに登っている私でさえ難しいものを、里にいる人々はどこをもって雨告山と言っていたのであろう?
黒森山ならそれは可能なはず。
さて、こんどは黒森山のてっぺんに雷電磐とやらがあるのかないのか、確かめに行かなければならなくなった。
でもあそこ、黒いプーさんがいっぱいいるんだよなぁ。
(完)
先輩使って高寺神社の裏から写真も撮ってもらいましたが、やっぱり今の雨告山は本当の雨告山ではない!という結論に勝手に達しました。
勝手にですよ!
そして守山は、現・雨告山を含めた西補陀落の総称と考えられます。
まず、1879年、明治12年に描かれた、三山総絵図による位置関係及び描写のちがいです。
これは神社表記になっているため、廃仏毀釈の際に書き直されたものであろう、必ず元になった更に古い図があったと思われます。
では、総絵図の雨告山は月山から北西にある、標高930.2mの黒森山ではなかろうか。
そう思うに至った理由は、1710年に完成された三山雅集の雨告山の項にこう記されている。
「月山より西北に当って見ゆる孤峯なり天気朗なる時は顕には見えず雨ならんと欲するときに山の色朦朧として遠近に見えわたれり又は雨森山とも云り」
雨 森山…、孤峯…。
雨 森山…、孤峯…。
雨 森山…、孤峯…。
もう言っちゃってるし、しかも現・雨告山は孤峯ではない。
尾根筋の一部だ。
さらに、フェイスブックでお友達のPさんより、こんな考察を頂きました。
「黒」とは降龍を意味する。
降龍=雷
そう、高寺の雷電磐神話ときちんと繋がってきます。
森(モリ)は祈りを捧げる場所。
黒森山は雷神に祈りを捧げる場所であり、通称「雨告山」だったのではないかと思われます。
さらに、雨が近いとよく見える…とな。
先輩から撮して頂いた写真をみても、ネット上にアップされているどの写真を見ても、現・雨告山を指し示すことができないのである。
それほど小さい。
一番近くにいて、毎年あそこに登っている私でさえ難しいものを、里にいる人々はどこをもって雨告山と言っていたのであろう?
黒森山ならそれは可能なはず。
さて、こんどは黒森山のてっぺんに雷電磐とやらがあるのかないのか、確かめに行かなければならなくなった。
でもあそこ、黒いプーさんがいっぱいいるんだよなぁ。
(完)
2016年08月31日
今日の月山 8 月31日
台風はようやく過ぎ去りましたね。
28日の夜半から29、30日と目一杯風が吹きました。
現在は雲が厚く残っていますが、風は弱く、雨も降っていない状況です。
天候 曇り
視界 充分
風速 3m
気温 14℃
28日の夜半から29、30日と目一杯風が吹きました。
現在は雲が厚く残っていますが、風は弱く、雨も降っていない状況です。
天候 曇り
視界 充分
風速 3m
気温 14℃